自分は何が楽しかったのか?

ふと、上記の動画に出会い見ているうちに、今までどんな会社員生活だったかなぁと振り返って見たくなりました。定年間近で冬のボーナスをもらった所です。
まぁ冬の査定は普通で、変わりないです。営業事務をしているので、査定の上下はあまりありません。

会社に入って、最初は技術部の端くれの部署に配属されました。
当時はホストコンピュータでCADに使っていました。
とは言え、設計をしていた訳ではなく、トレーサーです。もちろん面白くなく、隙間時間にホストコンピュータでプログラムを作っていました。

パソコンの性能が上がって来て、パソコンでCADが出来るくらいになって、設計者が直接使う様になっていきましたが、僕は設計者ではなかったので、簡単な部品の設計図を描く程度で技術部の管理部門に行ったり来たきり、そして営業の管理部門へ異動となりました。

営業の管理部門へ来て、まず最初に取り組んだ事は製品の価格表のオプション価格の統一性を保つ事でした。当時営業所ではホストコンピュータをオンラインで繋いでいましたが、価格表データはラインプリンターで印刷をした物で、作業をしていました。
はっきり言って、「これは無理だわ」と思いました。
最初に取り掛かったのは全価格データをパソコンに落とし込み、パソコンソフトを作って管理する事にしました。
ホストコンピュータからパソコンデータに落とす仕組みを情報システム部門に作ってもらう、僕は世の中丁度dBASEが普及し始めたので。この中で作りました。
パソコンはホストコンピュータのプログラムよりも自由度がありました。
その後、MS Accessに移植したり、Lotus Notesへも移植して来ました。

通常業務の一方で、丁度社内でLotus Notes導入の話が上がり、手を上げてデータベース作りをたくさん作りました。
委員会制を作り、関係部署の人を集めて、どの様な機能を組み込むか話し合いながら作っていきました。
いろんな部署の人に集まって話をしましたが、どうしたいのかを具体的に持っている人とは順調に作る事が出来ました。一方いい加減な人たちの場合は具体化ではないので、僕が補完しながら作りました。

時代は進み世の中NotesからSharePointなどブラウザを入口にするものとなり、会社で新システムで作り直す方針となりました。
僕自身は定年がちらほらして来ましたので、新システムへの移行はこれからの人に任せて、見守る事にしています。僕が手を出して作った後に去っては残された人が困りますからね。まぁ組織ですから大丈夫でしょう。

話はYouTubeに戻りますが、これからの自分はどうして行こうか?
過去を振り返って、自分が楽しかった事は何だったのかを考え直してみようと思います。

ここに書いた以外にもシステムを外部の業者の人と作った事があります。
大抵の場合、リーダーの人がいてプログラマーの人が出て来ますが、リーダーの人の経験によってこちらからの要望がどこまで伝わって、プログラマーに伝えて作られるのか?
後でプログラムソースを見て、プログラマーのレベルが分かりました。人によっては、素人のロジックだった時もありました。

定年後はまたシステムを作る側になる事も考えた事はありますが、でもそれは違うと思い、ただ経験から何がしたいかではなく、どうなりたいのかじゃないかな?と考えています。

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