プログラミング学習、失敗編

社会人になって、幾つかのプログラミングでの失敗を紹介しましょう。
まだ20才代の頃です。数千万の予算をかけて外注業社に作ってもらいましたが、結果使い物にならず捨てる事になりました。

まだホストコンピュータを使ってCADをしていた高価な時代です。プログラムはCADで描いた図面をまとめるためのパーツリストシステムでした。とは言え自動で全てのパーツリストが作れるわけではありませんので、図面を保存して、そこから図番とパーツ名をデータベース化して、人が図番を入力することで、パーツ名をデータベースから検索して、部品個数を入力することでパーツリストを作る仕組みです。

図面もパーツリストを書いた事があったので、どの様なものなのかは分かっていました。しかし、予算が高額なうえ20代の若僧だけでは責任が持てませんので、技術部の多くの課長を巻き込んでプロジェクトとして進めました。
全体のシステムの動きや、画面を絵に描いてイメージしやすい様にしながら進めていきました。

そして、仕様ができたところで外注業社にプログラムを作ってもらい完成させました。
結果としては、とても遅くて使いづらいものになってしまいました。何が遅い原因なのかとプログラムを見てみると、以前紹介しましたソートのロジックが素人ロジックで作られていました。さすがに全てのプログラムに目を通せるほどプログラムは小さくなくどうしようもありませんでした。

そして、決定的だったことは、このパーツリストを作成する人は、社外の外注さんだったと言うことでした。
使い始めるまで社内で使うものと思っていただけにショックでした。
今とは違いホストコンピュータのネットワークを社外と繋ぐ?しかも外注さんは大きな会社ではなく資金もありません。
外注さんが作ってきたパーツリストをもう一度社内で打ち込み直す話も出ましたが、工数の無駄なので、使われないシステムとしてお蔵入りとなりました。

これは僕にとって、とても大きな経験になりました。
それ以降は、この時の経験をいつも忘れずにしています。
社内の情報部門に頼む時も、自分で作る場合もです。
誰が、いつ、どの様に使うのか、いつもペルソナを意識する様になりました。
一方情報部門の人は言われた様に作ります。誰がどの様に使うのか気にせず。
情報部門の人たちはシステムは作るが使う人たちではないので、社内の業務を知りません。

だから今年度から始まったプログラミング学習に期待をしているんです。
僕自身は定年退職となるでしょうが、今年からの小学生が高校、大学、社会人となった時には、日本が変わっていることでしょう。

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