プログラミングの経歴と勧め

プログラミング

ここで、自己紹介をしておきます。
プログラム?マイコンに興味を持ったのは中学の頃です。

CPUは8bitの8080Aを乗せてNECが世に出したTK-80 この頃はキットをはんだ付けして組み立てる製品でした。もちろん中学生に買える代物ではありません。それでどうしたかと言うと、ラジカセを自転車に乗っけてNEC名古屋のBit-INNまで朝一番に行って、ショールームが開くのを廊下で並んで待つって事をしていました。

どの様に使うのかと言うと、マシン語をキーボードから入力をして、実行をすると8セグメントLEDとかが、プログラム通り動くと言った感じ。真ん中部分にちょっとした回路を作るとカセットテープにプログラムをセーブしたりロード出来たんです。その頃はまだ雑誌のプログラムをそのまま入力していただけで、作れるほど理解はしていませんでした。

こんなこともあり、工業高校の情報技術科へ行くことになりました。
この頃になるとマシン語が作れるようになり、読めるようになってきました。
もちろん直接ではなくて、アセンブラで作ったプログラムを手動でアセンブルしていました。それからしばらくすると

PC-8001がNECが発売され高校に配備されました。
CPUはZ80互換でN-BASICでプログラムを作ったり、アセンブラで1クロックでも早くするにはと日々遊んでいました。

それ以外にはFORTRANを紙テープにパンチして作って遊んでいました。
あ、遊んでましたと書いていますが、授業と宿題は遊びと同じでしたね。

その後、社会人となり会社へ就職しました。仕事内容はCADで図面を書いたり、コンピューターの管理用のソフトをFORTRANで書いたりしていました。
部署が変わり営業事務となり、まだパソコンが高価で二人に一台を代わる代わる使う時代です。5インチフロッピーのDOSでdBASEと言うデータベースソフトが会社に導入されて、仕事が一変しました。フロッピーなので処理には時間がかかりましたが、兎に角一変しました。ホストコンピューターからダウンロードしたデータをデータベースにためて、計算しマルチプランデータを出力する物でした。

そして、Windows95の時代になりました。ハードディクスになり、dBASEのプログラムをマイクロソフトACCESSに移植をしました。これまたすごい事になりました。時間が30分から30秒くらいになりました。出力結果はExcelになりました。

Delphi(Pascal)でプログラムを作った事もあります。内容はホストコンピューターの印刷データを綺麗なテキストデータにする物です。このテキストデータをExcelで固定長データとして取り込むことで、ホストコンピューターのデータをExcelで扱える様になったのです。情報部門に頼むことなく今まで使っていた印刷物がExcelデータとして扱える様になり、これは重宝され全社に広がって行きました。

その後、世の中がLotus Notesを導入していく中、我社にも導入されました。プログラム作成権限をもらえたので、Lotus scriptでNotesデータベースを20〜30くらい作ったと思います。
ここでも、以前移植したACCESSのプログラムをバックにSQLサーバーを走らせてNotesに移植しました。これによりアクセス権をNotesで管理しながら利用者を広げる事ができました。

これ以外にも月次データをACCESSに溜め込んで、そこからExcelにデータを吐き出して、ピボットテーブルやピボットグラフを使って、月次の受注・売上報告書などの業務効率化を行いました。

とまあ、これがプログラミングの履歴です。
情報部門ではなく、通常業務の部門にいます。この良い点は、通常業務が目の前にあり仕事を知っているという点です。情報部門の人は会社の中で何が問題なのか、何に困っているのかが分かっていません。外注業者はさらに酷く、いろんな会社の仕事をしてきた経験があることを期待して何度か頼んだ事がありましたが、仕事に対しては素人同然で、ただプログラムが作れるだけでした。もちろんSEなる上位の人も付きますが、期待通りにうまく行ったことはありません。

今いままで経験から思うことは、Googleの様に仕事を知っている人がプログラムを作る事がベストなんだと思っています。ただし、これにも限界がありますが、プログラミングをみなさんに勧めている経験です。この続きはまたにします。

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